人それぞれのやり方

理屈って行動で語れないっていうか、やっぱり卓上のことでそれを行動に変換すると手段になるんだょね。だから理屈を理解して、頭の中で整理して展開させて手段として行動する。手段=どーすればできるのか。理屈はみんなおんなじなんさ。でも手段は個々の能力でかわるょね。だから理屈を教えるのは簡単、でも手段は個々に合ったものを教えなきゃだから難しい。

ここは抽象的で少し難しい。ここでの「理屈」という言葉は前回の記事で出てきた「動きの法則に当てはめたプレー」と同意。シュートを決めるまでの「プレーのあらすじ」と言ってもいいかもしれない。ただ、それはあくまであらすじ(粗筋:大まかな流れをまとめたもの)であって、「シュートを決める」という目標を達成するためのその「手段」は、個々の選手の能力によってやり方がいろいろあるってことだね。

例えばじょーとトマでは持っている技術が全然違うから、当然そのプロセスが違ってくる。トマはじょーと同じことができないから、トマができるようなやり方で目標達成を目指さなければいけないわけです。

「シュートを決める」ということだけでなく、「ドリブルがうまくなる」「シュートが入るようになる」という個人的な技術の上達(目標)を達成することを考えた場合も同じことが言える。ドリブルがうまくなるための練習方法、シュートが入るようになるための練習方法は人それぞれ。ある人がやった方法が、他の人にとって良い方法とは限らない。その人に合った練習方法というのがあるんです。好みの問題もあるし。

「理屈は行動で語れない」「卓上(机上)のこと」と表現しているけど、「理屈=行動で語れない」「理屈=卓上のこと」なのではなくて、「行動で語れない理屈=卓上のこと(「机上の空論」という言葉の意味そのまま)」なのだと思う。たぶんみっちもこういうことが言いたかったんでしょう。

それを行動に変換すると手段になるんだょね。

ここは「変換」という言葉のかわりに「さらに深く掘り下げる」という言葉を使うとわかりやすい。理屈をその人が行動できるレベルにまで深くほりさげなければいけないということ。その人に合った「やり方(手段)」がわかるところまで。

例えば、「これから練習しまくってダンクできるようになる!」っていうのは粗筋なんだよね。これだけだと行動できない。それを「ウエイトを使ったトレーニングをして筋力を向上させ、ジャンプする練習もたくさんして最高到達点を少しずつ高めていく。そしていずれダンク」ってやると少し具体的になったぶん行動しやすくなる。さらにそこからトレーニングの内容はどうするか、ウエイトの重さはどうするか、回数はどうするか、ジャンプの練習はどういう練習をするか、というところまで考えていく(ここが「その人にあったやり方(手段)」に該当)。そこまで具体的になってくると、あらすじの状態よりも断然行動しやすくなる。

「理屈」は行動できるところまで細分化して考えなければ机上の空論になってしまう。だから細分化して考えなければいけない(深く考えなければいけない)が、そしてその細分化の方法、内容(方向性)は個人の技量によって変わってくるので複雑になってくる。だから、「理屈」という「あらすじ」を教えるのは簡単だけど、「手段」という細かいストーリーまで教えるのは大変だと。そういうことですね。

私は誰かに何かを教えるときはだいたい「個々に合った細かいストーリー」に焦点をあてるようにしています。相手によって指導方法は変わらなければいけない。だけど、そういうのは教える人数が増えてくるとかなり大変になる。だいたい細かいストーリーを教えるのはそれだけで面倒くさいし。そうすると「あらすじ」だけを教えることになる。で、細かいストーリーは個人まかせになることが多い。

自分に合った細かいストーリーを自分で考えられる人は上達していけるけど、それができない人はそういう指導では上達できないことも多いね。やっぱ自分の頭で考えていかねーとね。

長かったですが、ここまででこのシリーズは終わりです。面倒くさい話にお付き合いいただきありがとうございました。私も考えるのがつらくて脳みそがキューってなりました。

チェストパスの肘

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