「通過点」の考え方

どうも。腹の調子が思わしくないです。ただの食べ過ぎですが。

最近「通過点のことは難なく達成できるなぁ」ということを良く考えます。例えばね、「ディフェンスを抜く」ってことを目標にするのと「得点する」っていうことを目標にすることの違い。「ディフェンスを抜く」ことを目標にすると、そこでひっかかるんだよね。「得点する」ことを目標にすると、その前の段階の「ディフェンスで抜く」っていうところではひっかからない。抜くことを意識しなくても意外にうまくいったりする。

これはいろいろなところでそう思うんです。何かの資格を取ることになったとしても、「資格を取る」ことを目標にするとその試験で引っかかる。難易度が上がるというか。でも「資格を取って○○する」という目標にすると「資格を取る」ことの難易度が下がるというか。実際には難易度が下がるってことはないけど、そこを目標と考えるのか、通過点と考えるのかで、感じ方や結果がだいぶ変わってくるなと。

アンテナイセ

「このドリブルメニューを練習しなきゃ」と考えながらドリブルメニューを消化するのと、「あの相手と戦うためにはもっとドリブル技術を高めなければ駄目だ」と考えながらドリブルメニューを消化するのでは、「そのドリブルメニューができるようになるかどうか」の結果が違ってくる。「チーム練習の中で良いプレーをしよう」と考えながら普段の練習をするのと、「あの強いチームと戦ったときに良いプレーができるようにしよう」と考えながら普段の練習をするのとでは「チーム練習の中で良いプレーができるかどうか」の結果が違ってくる。

どこを「目標」にするのか。目標にしたところは達成するのが大変になる。しかし通過点はいつの間にか達成できていたりする。「強いチームと戦ったときに良いプレーができるようにする」という「目標」は達成できなくても、その通過点である「チーム練習の中で良いプレーをしよう」という目標はいつの間にか達成できていたりする。通過点のことは「できて当たり前」になるから。

ということは、「強いチームと戦ったときに良いプレーができるようにする」ことを目標にするのではなく、「強いチームに勝ってもっと強いチームと戦えるようにする」ことを目標にすれば、「もっと強いチーム」と戦えるようにはならなくても、「強いチーム」相手に良いプレーができるようになる可能性が高まる。・・・かもしれない。

これは技術的なことにも通じる部分がある。例えば、床の表面につくつもりでドリブルするのと、床のさらに30センチ下につくつもりでドリブルするのとでは、ドリブルの強さに大きな違いが出る。レシーバーの位置を意識してパスするのと、レシーバーのさらに向こう側を意識してパスするのとでは、パスの鋭さに大きな違いがでる。目の前にいるディフェンスとの接触を意識してぶつかったときと、ディフェンスのさらに奥に行くことを意識してぶつかった場合とでは、当たりの強さに大きな違いが出る。

「どこを見ているか」ということ。もっと「先」を見なきゃいけないということ。

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2 Responses to “「通過点」の考え方”

  1. ミズイロイズミ より:

    今の大学入試みたいな感じですね。大学に入ることを目標に
    してしまっていて、入って学んだことを活かして何をしたいか
    ということを考えていないのと似ていますね(笑)

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