リーダー

1.あだ名
せぐ○、リーダー、LD、ネギ

2.背番号
10

3.身長
178センチ。

4.ポジション
HORNET代表。

5.得意なプレー
代表者会議への出席は得意中の得意です。あと練習にボールを持っていくこと、練習日誌を書くことなども得意です。

6.苦手なプレー
時間までに目的地にたどり着くことが苦手です。いつもイセに怒られています。

7.好きな練習
ゲームも楽しいんですが、あーでもないこーでもないと考えながら自主練習するのも好きです。新しいことに気づいたりすると最高に興奮します。いつもテンションが上がりすぎて周りにいる人を巻き込んでしまうので、反省しています。最近は気づいたことをその場でトマに教え、少し離れた所でOTKさんがこっそり聞いているというパターンが多いです。

8.嫌いな練習
体に負荷がかかりすぎる練習全般。ちょっときついのは頑張ろうって思えますが、、きつすぎると簡単に心が折れます。

9.好きなシチュエーション(プレー)
みんなでパスを回して点が取れたときは気持ちいいですね。あとみんなでディフェンスを頑張ってターンオーバーを誘うのも最高です。

10.出身校(小・中・高・大)
五泉南小学校→五泉中学校→新津高校→新潟大学

11.バスケ的な経歴
小5の3学期に周りの雰囲気に流されてミニバスに入りました。私の学年でミニバスに入らなかった男子は4人だけ。あとは全員入っていて、5年生の3学期になったらミニバスをやるのが当たり前みたいな雰囲気でした。AチームからDチームくらいまであったような気がします。最初の選抜で私はAチームに選ばれたらしいのですが、発表があった日の練習に行かなかったので先生が怒ってしまい、Bチームに降格されたという苦い思い出があります。その後はAチームに復帰しましたが補欠でした。背番号は15番くらいだったかな。よく覚えていません。チーム名はたしか「ブラックファイターズがかっこいいんじゃね?」ってみんなで話し合って、南小ブラックファイターズになりました。黒い戦士たちの一員でした。

小学生の頃は野球もやっていましたが、中学ではバスケ部に入ることしか考えていませんでした。ミニバスが楽しかったからです(野球のほうがやっていた期間は長いですが、練習がきつかったのであまり好きではなかったです)。ただ、この頃にはすでに膝をやってしまっていて、ケガと付き合いながらの部活動でした(今思えば野球の練習が原因かも)。この頃一回膝の遊離軟骨(いわゆるネズミ)を取る手術もしました。

上下関係が厳しく、先輩は本当に怖かったです。毎回ビビりながら練習していました。ちなみに1、2年の時は当然補欠。3年の時はレギュラーになれましたが、試合では取っても2点とか4点とか。かなりヘタレだったと思います。3年の時の背番号は10番。顧問の先生が決めた背番号は9番だったのですが、なぜか10番がいいなと思い、10番の人と変わってもらいました。もともと10番だった人は一つ若い番号になった!と喜んでいました。

高校でバスケをするかどうかは、実は少し迷っていました。噂ではよく練習試合をしていた山王中学や愛宕中学のうまい人達(キャプテン、番B、ふっちゃ、ニセムラカワ)が入るらしい。バスケにあまり自信がなく、また体が貧弱だった私は、そんなレベルが高い中でやっていけるかということを心配していました。しかし、教科書販売の日に学校で新津二中バスケ部のキャプテンだったイッチーにいきなり「入るんでしょ?」みたいに言われ、また当時仲の良かった友人が入ると言っていたこともあって、それにつられて入部しました。(友人からの影響というのは大きいですね!)

高校の部活はとにかくきつかったです。正月明けの練習は本当に地獄でした。死ぬほど走る練習をさせる顧問の先生に対して「また走らせるのかよ・・自分でやってみろよ!」と心の中で思ってました。第2体育館の黄色い壁が思い出されます。きつい練習がこたえて怪我もたくさんしました。先日後輩のフジワラに「一緒にバスケした記憶があんまりない」と言われてしまいましたが、そう言われてしまうくらい怪我をしていました。

練習はきつかったのですが、チームメイトに恵まれたこともあって途中でやめることなく最後までやり通すことができました。個性豊かな先輩たち。バカなことをして遊んでいた同級生たち。ホント楽しい仲間たちで、いつも笑わせてもらっていました。

高校3年のとき、ほぼ実力順で決められた背番号は10。普通に補欠だったので、あんまり試合にも出ていませんでした。私たちの代はキャプテン(シューターだがオールラウンドにプレイできる)、ふっちゃ(ほしい時に点を取ってくれるエース)、イッチー(とにかく賢くてディフェンスがうまい)、番B(当たっても止まらないダンプカー。モー娘。が好き)の4人が技術的に頭ひとつ出ており、おまけに一つ下の代には背の高いセンターも3人くらいいたため、他の選手がレギュラーに食い込む余地はありませんでした(私の代のエースセンターUEKIは新商式のディフェンス練習でヘルニアになったため使い物になりませんでした)。

一方ニセムラカワはシックスマンとして度々試合に出場。ニセムラカワに「センス」というあだ名がついたのはこの頃です(どこかの監督が「あいつはセンスがある。どこのポジションでもできる」と言っていたのがきっかけ)。

大学ではもうバスケはしないつもりでした。なぜなら大学受験(2次試験)の前日に上記の仲間たちとバスケをし、膝の皿を脱臼して人生初の救急車で運ばれてしまったからです。

忘れもしないです。左に一歩ステップを踏んでそれをフェイクにして、右にドライブしようとした時でした。左膝にガキッと嫌な音がして激痛が走り、倒れこんでしまいました。何が起こったかわからず、うずくまって痛みをこらえていました。怪我した瞬間私は崩れ落ちるように倒れたらしく、番Bがそれを見て死ぬほど笑っていました。本気の大笑いに「この痛みは笑えるレベルじゃねぇ」と一瞬怒りがこみ上げそうになりましたが、激痛でそれどころではありませんでした。

ジャージをはいていたので最初はみんな何が起こったかわからず(自分でもわかってなかったですが)、少したっても番Bは相変わらず笑っていましたが、誰かがジャージの横のボタンを外し、めくって膝を見たときはさすがの番Bも笑うのをやめました。膝の皿がそのまま外側にズレて外れており、膝が変な形になっていたんです。私も白い顔がますます青ざめてしまいました。

これはヤバイということですぐに救急車を呼び、近くの総合病院へ。幸い膝の皿の脱臼は医者の先生が横からツンツンやっていたらガキッとはまり、またMRIをとったところ手術が必要な損傷も見られないということで、腿から足首までギブスを巻いて固定し、その日のうちに帰りました。病院にかけつけた両親は完全に受験が受けられないと思っていたようで、今まで見たことないような顔をしていましたが、次の日は松葉杖をついて試験を受けに行くことができました。苦手の英語は全然できなかったけど、数学はなかなかできました。

しばらくしてギブスを外したときに、もともと細かった足がさらに細くなっていて「あぁ、やっぱりバスケはもう無理だな」と思いました(ちなみにギブスをしていたほうだけ毛がかなり濃くなっていました)。再度MRIを撮ったところ半月板に損傷が見られるということで、医者には「バスケを続けるなら専用のサポーターを作る必要があるけど、このままでも日常生活は問題ない」と言われましたが、私は「もうバスケはしないのでいいです」と言って病院をあとにしました。バスケ辞める気満々でした。

大学では番Bがバスケ部に入りましたが、私は当然入る気がありませんでした。ただ、体育の授業でバスケやるってことで病院に再度診察に行ったら別の先生に「サポーター?動けてるなら別にいらないよ」と言われたこと、それでやってみたら思ったよりも動けたことなどもあって、サークルで軽くやるくらいならできるかも、と思うようになりました。ちょうどその時、体育の授業で一緒だった林くんが「俺が行ってるところ来てみない?」とサークルに誘ってくれ、それがホーネットでした。その時から今までずっとホーネットにいます。今の背番号は中学の時からずっとつけてる10。そしてついに補欠じゃなくなりました。

12.バスケを始めたきっかけ
友達が全員ミニバスに入ると言っていたため。あと内履きにバッシュを履いている人がかっこよく見えて、ミニバスに入れば自分もバッシュが買ってもらえると思っていた。最初に買ってもらったのはコンバースの白地に赤が入ったバッシュ。あれかっこよかったな。

13.印象に残っているプレー(自他問わず)
大学1年か2年の時に、新大バスケ部の方(先輩)と1対1をしてもらう機会がありました。そのとき生まれて初めて股抜きをされ、まだAND1とかストリートボールとかよく知らなかった私は衝撃を受けまくりました。「サッカーじゃないんだから!」みたいなことを言っていたような気がします。ちなみにその1対1の相手というのが、Mr.新潟ことヘッジホッグの稲垣さんです。

14.ホーネットに来ることになったきっかけ
当時新潟大学のサークルだったホーネットに林くんが誘ってくれたおかげ。同期はT橋くん、ひげ監督、クバラの4人でした。林くんは2年の時に早稲田大学に行った(仮面浪人していた)ので、1年だけの付き合いでした。

15.ホーネットのメンバーで「この人頑張ってるな」と思う人
みんなよく頑張っていると思います。最近はみんなの意識が変わってきいるのが感じられて、それが嬉しいです。しいて一人上げるならOTKさんかな。バスケが大好きで、バスケに対して一生懸命で、だけどバスケに対してクールで。いかしてますよ。

16.目標とする選手(プレー)
動きがトロいので、もっと素早く動けるようになりたいです。

17.今までで一番重症だったケガ
上に書いたやつも痛かったけど、右足の捻挫が一番しんどかったです。新潟大学医学部バスケットボール部との練習試合でかなりひどく捻ってしまいました。良くなるまでに半年以上かかった気がします。足首の形が変わって曲がりにくくなってしまいました。骨折してたのかもしれません。

あと右手の中指の怪我も痛かったです。これは痛みがなくなるまでに1年くらいかかったと思います。たぶん骨折していたのだと思いますが、まっすぐに伸ばしても少し指が曲がっているような状態だったので慣れるまではいろんなところに引っかけてしまい、そのたびに激痛が走って大変でした。少しだけ指が短くなりました。

あとは3年くらい前の左足の捻挫・・アベショーさんとぶつかって鼻の骨にヒビが入ったこと・・。試合中相手とぶつかってまぶたの上を切ったときは「なんかボクサーみてぇ」なんて調子にのっていましたが、ホント怪我ばっかしていました。

相当悪い動き方してたと思います。最近は動き方が良くなってきてあんまりケガしなくなりました。

18.バスケの面白さとは何か
なんでこんな難しい質問を作ったんでしょうか私は。完全に自分が答えることを想定していなかったです。

バスケの面白さは裏のかきあいにあると思います。人口密度が高いところを縦横無尽に動き回るので、敵味方を含めてコミュニケーション(駆け引きも含む)の頻度がめちゃくちゃ多くなります。自分のアプローチの仕方しだいで相手の反応が変わり、自分に都合のいいような状況を作ることもできる。かなり頭も使いますが、そういうところが面白いです。また短い距離で駆け引きの勝負をするので、身体能力の低い私でも工夫すればなんとかプレイできるというところも魅力です。

19.最近できるようになったこと
たくさんあるんですけど、中でも以前ほど足に力を入れずに以前よりも速く動けるようになってきたのは大きいです。

20.これからできるようになりたいこと
素早い動きができるようになりたいです。「速い」じゃなくて「素早い」です。あとは姿勢をもっと良くしたい。

21.今のバッシュとその履き心地
ナイキのAir Go LWPというやつを履いてます。ちょっと底が厚すぎるような感じはありますが、履き心地は悪くないです。まあまあ気に入っています。

22.一つ前のバッシュとその履き心地
ズームフライト5です。底がかなり柔らかくて弾力がある感じでした。履き心地は悪くないですが、底の柔らかさに慣れるまでは違和感がありました。今も履いてる人多いけど、当時はもっと履いてる人多かったです。みんな履いてたよね。

23.今まで履いたバッシュの中で一番良かったバッシュとその履き心地
アシックスのゲルフープ系は2足履いたけどよかったです。ソールも厚すぎず、変にクッションもない。ナイキだとズームスイフト2っていうバッシュが好きでした。軽くてデザインも好きでした。あのバッシュ、黒埼体育館でバスケしたあと、車に荷物積みこむ時に車の上に置いたまま発進してしまって無くしたんだよね・・。復刻してほしい。

24.バスケ以外で今一番はまっていること
毎日水を大量に飲むことにはまっています。最低2リットルは飲む。

25.好きな漫画
知ってる人少ないと思いますが、BE TAKUTOっていう漫画が好きでした。全2巻です。中二病全開の漫画ですが、古本屋を探し回るくらい好きでした。あとはハンターハンターが面白いです。ニセムラカワの家に行ったときはいつもリアルとバガボンドを読みます。

26.好きな音楽(アーティスト)
めちゃくちゃ好き!ってのはないんですが、バンプとか、グレイとか、RADWIMPSとか、ラルクとか、ミスチルとかの曲はわりとたくさん知っています。

27.カラオケ十八番
最近はイエモンの「球根」が好きです。サビがたまらないです。

28.好きな食べ物
プリンとか好きです。あとはカップのアイスとか。ミルク系の飲み物も好きです。あとカスタードクリーム。シュークリームとかいくらでも食べれそうな気がします。

29.よく見るテレビ番組
テレビはほとんど見ないですが、News ZEROとかGoingとかはわりと見てるような。

30.好きな芸能人
ブラマヨとかフットボールアワーとか面白いなって思います。

31.好きな異性のタイプ
一生懸命な人は応援したくなります。

32.犬派?猫派?(理由も)
猫です。犬は飼ったことないですが、猫は飼ったことがあります。自分の都合のいいとき(腹がへった時)だけ擦り寄ってくるあの勝手気ままな感じがいいです。でも犬も好きですよ。

33.日々大切にしていること
ブログランキングのクリックを忘れないこと。みんなも忘れずに1日1クリックしてください。

34.もし3億円宝くじがあたったら
1億円くらいは両親に渡し、自分のほしいものを全部買ったあと、残りは旅行などでチビチビ使っていくと思います。ホーネットの人たちや、他のお世話になっている人たちにおみやげを買ってきます。

35.今まで最も影響を受けた人(こと)
今のホーネットのメンバーからもいろいろと影響を受けています。こうしてバスケの話をいろいろ書き綴ることができるのも、間違いなくホーネットの人たちのおかげですね。

36.最後に、あなたにとってのバスケとは
奥深くていつまでも飽きないものです。おじいちゃんになっても続けていたい。